CLANNADは人生、Airは芸術、Fateは文学。じゃあ、とらドラ!は?

※このエントリでは(続きを読む)以降で、10巻のネタバレ内容を扱います!!

ふと、めったに更新されないこのページのアクセス解析を見てみたら、「とらドラ 10巻 ネタバレ」のような検索キーワードからいらっしゃってる方がたくさんいて。すみません、ここにあるのは9巻段階で10巻どうなるのかなーうふふーん的な妄想なので、こりゃいかん、読んだ直後の主観だけでもばら撒くかと思った次第です。
ほいじゃ以降から10巻ネタバレ。アニメ派も立ち入り禁止、後ろ向けー後ろ! はい駆け足!
使ってないからわからないけど、これくらい書いておいたら、ブックマークとかアンテナとかも大丈夫かな?


この表題を考えるに当たって、ググル先生に相談してみました。
とらドラは!何だろう、もう何かうまいこと言ってる人がいるのかな、と。
そうしたら「とらドラ!は数学」っていう案がもう出てました。

「最低でも5つの変数が絶えずうろつきまわる」

なるほどね。


私が9巻を読み終えた段階で、10巻はこれを基準に考えよう、と決めていたことがある。
それは
「この物語は、そもそも大河と竜児のために設計されている。それを承知の上で、北村くん、亜美さま、みのりん、さらには春田くん能登くん麻耶さま奈々子さま……たちを、この物語がどう遇するか」
ということ。

とらドラ!」は元々、大河と竜児のためにある。それは1巻の序文が証明している。だから、彼らを中心に世界がぐるりと回るのは当然で、そのようにプロットも作られている。
で、あればこそ、2人が「この世界の誰一人、見たことがないものがある」ものを手に入れるまでの過程を支え、一緒に迷い、背中を押した、彼、彼女たちをどう遇するのか知りたかった。

その観点から言えば、充分に物語られたとは言い難い。
全員、今までの延長上にある示唆には満ちている。「とらドラ!」という作品を読み進めてきた読み手にとっては充分なものかもしれない。けれど、私の個人的な希望として、想像をもう一歩超える、手ごたえのある示唆がほしかった。
現状では、亜美の孤独や、みのりんの頑張り、諦めない男北村くん……ということはわかっても、それがどう変化し、結実していくかの手がかりになりにくい。
(もちろん妄想SS描くには充分だが、それは自分好みのオーダーメイドであって、物語から教えてもらったものとは違う)

とらドラ!」は実に見事にプロットに沿って書かれている。以前twitterでもブツブツ言ったけど、おそらく5巻あたり〜10巻までは、一気にプロットが作り上げられたと思っている。アニメ版がほとんど原作10巻の内容にまで踏み込んでくることを考えると、そのために先行してプロットを作ったのではないか。大河と竜児を運ぶ、綺麗で破天荒なジェットコースター。予定調和のように大河パパが出たり、北村くんがグレたり、亜美もみのりんも順番にお話を割り当てられている。だから、もう充分といえば、充分なのだが。

さらには「とらドラ!」は1冊の文庫本の中での構成もかっちりと決まっている。大体1冊240ページ弱、それを5〜7個の章で割る。どの巻も似たように章が分かれている。その、1冊当たりのリソースの中で、語りたいことを存分に語るには、サイドのみんなは、脱落させざるを得なかったのだろう。

それでも、私は、彼、彼女らのさらなる先が知りたかった。


さて。
結局「とらドラ!は数学」だろうか。
とらドラ!」は、最初から竜児と大河が家族になるまで、のお話だ。
最初から答えは決まっていたのだ。それを求める計算式を長々と書き連ねたものである、とすれば「数学」とも呼べるのだろうか。

CLANNADは人生Airは芸術、Fateは文学。じゃあ、とらドラ!は。
「数学」
「絆」
「家族」
「運命」
いろいろ考えてみたけれど、どれもピタリと当てはまらない。
どれが、似合うだろうか。





こっから余談。
やっちゃんは「母」イコール「大人」として受け取られがちだが、34歳なんて、子供な人は悲しいくらい子供なのにねぇ、とずっと思っていた。だから10巻でも、最後まで子供っぷりをいかんなく発揮してくれた点に関しては非常に良かったと思う。やっちゃんも、これから。

10巻表紙の大河、ずいぶん髪の毛が落ち着いた。もう毛を逆立たせて怒らなくてもいいからかな。




最後に大河もう公式おもらしっ子でよくね? とか酷いこと書いて終わりにする。


(追記)
書き終わって歯を磨いてて、思い出したんだけど、私のイトコがやっぱり結婚を許してもらえなくて、子供も出来て飛び出していっちゃったんだけど、和解できたのは10年以上後だった。
父方の叔母も遠い南の島へぽーんと駆け落ちしていっちゃって、地元に帰ってこれたのは何十年も経って、私の祖母(つまり叔母の母)のお葬式の時。その叔母さんの娘、つまりこれまた私のイトコにあたる女の子が可愛かったもんだから、地元組の若い衆で酔ってたかって飲ませたりたわいもないこと話したりしたんだけど、通夜の火の番のとき「親族というものに初めて会った、初めて会った人間に、ここまでよくしてくれる人がいるとは思わなかった」って泣き出して、なんだか不思議な気持ちがしたもんだ。

やっちゃんみたいなケースって、珍しくないんだろうね。
17年の不在は長く重いだろうけど、存外に取り戻せるのは速いようでもありますよ。
やっちゃんにも幸せあれ。ま、竜児の幸せリスト特等席にいるでしょうけれど。