とらドラ10巻に関する展望

最近、twitterにおけるとらドラトークがひどいネタバレを帯びてきたので、ひどそうなネタバレ発言は一時的にはてなダイアリーに移転させることにしました。
前提としてアニメは一切見てません。原作の1〜9巻とスピンオフ2を前提にして、だらだら展望というか感想を書きます。スピンオフ1は現在捜索中!

ここからネタバレ進行ですので、アニメのみ視聴中の方、原作9巻まで未読の方は回れ右、全速前進でお願いします。






さて。

大人の無理解、無思慮、都合。
そういったものに引き裂かれそうになり、手に手をとって逃げ出した二人。

君たち、きこえているか。君たちが進む道の先に、多分、もう恋はない。
大河は恋愛と依存と何かをもう切り分けることができない。
竜児は庇護欲と依存と何かをもう切り分けることはできない。
ただ、わかるのは、お互いが必要だって感じることだけ。

そうやって、逃げていってもいい。戻って立ち向かってもいい。
でも、多分、二人の手の中に残るのは、恋ではない。まだ愛でもない。
曖昧にゆらめく、淡いぬくもりだけ。
この二人の取るべき最適解は、家族になること。
そのように物語はずっと前からレールに乗せられている。

だから亜美は偽家族って揶揄していた。性欲をスポイルされた竜児の偽父性を皮肉っていた。
亜美はストーカーにつきまわれるほど、誰かの欲望の目にさらされ続けていた。美人って、そういうことだ。なのに亜美ちゃんよりは落ちるけど、可愛い女の子が欲望の目を持たない男子に庇護されている。羨ましかった、のだろうか。亜美は絶対そんなこと言わないだろうけどさ。


話がズレた。

とらドラは、男女が、恋愛を経由せずして家族になるまでの物語ではないか。

竜児と大河の間に明確な恋愛感情はない。でも、家族になることはできる。
恋愛至上主義の世の中に「恋愛に振り回されて苦しんだけど、最終的に恋愛なんかなくたってかけがえのないものは手に入れられるんだバーロー!!」という、雄たけびのような、作品なのではないか。

それがハッピーエンドだと私は思っている。




ところでですね、私、小学生の時からずーっと好きな男子がいてですね、なんやかんやあって、二十歳の同窓会ん時に何度目かの告白をしたんですよ。ええ。
その時の振られ台詞が


「・・・家族としてしか見れないから、そういうの、無理」


当時はッッんだこらー!! わけわかんねぇぞなめとんのかコラー!
と荒れましたが、十年も経つとまあ、そういうもんかもね、とちょっとわかった風な気になれます。
ま、というといい話のようですが、ここにはとてもとてもとても書けない酷い錯綜があったので、大河と竜児には、本当に本当に、幸せになってほしいのです。