下品短歌2009 かしゅーるくん ちんこ握って大暴走

かしゅーるくんとは、とある少年の愛称です。頭が良くて、一生懸命で、でもたまに空回りしてしまう。そんな愛すべき高校生を、こともあろうに下品短歌の題材にしてしまいました。内輪ウケです。ですが、上の句を定めた者でさえ、彼に会ったことはないのです。あなたも思い浮かべてみてください、彼の駆け抜ける姿を。

かしゅーるくん ちんこ握って大暴走 皮伸ばし待つセリヌンティウス @asita

この歌は、ある意味下品短歌の一番ストレートな切り口、ただひたすらに気持ちの悪さを追求する、という一点において群を抜いています。友のためみずからの限界を超え、千里を走るかしゅーるくん。彼は包茎なんでしょうか、その答えは我々ひとりひとりが風の中に見つけるしかありませんが、ここで唯一確かなことは、セリヌンティウスが極端な仮性包茎であるという事実、真性包茎でもカントン包茎でもなく、あくまで極端に包皮が余った仮性包茎であるという事実です。「伸ばし(つつ)待つ」という描写は友を「迎え入れる準備」を示唆します。つまりセリヌンティウスは、おのが包皮をすりばち状に整え、最後の力を振り絞って城門を駆け抜ける友の先端をそのあたたかな皮毛布でしかと包み、受け止めるつもりなのです。肛門括約筋の過剰な圧迫ではなく、あくまで優しく収縮する包皮でもって友を迎え入れたいと願うセリヌンティウスの友情。「俺があいつのために今できることは、これくらいのものさ」戦闘機の空中給油並みのタイミングと狙いの正確さが要求されるこの離れ業を成功させるため、淡々と皮を伸ばし続ける彼をみて、涙を流さない者などおりましょうか。僕です。むしろ吐きます。あと王様もたぶんすごく迷惑だったんじゃないかと思います。でもこの短歌のよさには変わりはないですね。 【秋ひもの】

かしゅーるくん ちんこ握って大暴走 こんなものさえ無ければ百合に…! @shun_tan

この題に関しては、舞台背景や小道具の設定こそ様々なアイデアが試されたものの、全体的に言って心象描写に関してはわりと一辺倒であったかに思えます。その中で、この作品は、暴走に「怒り」という動機を持たせ、(上の句に提示された派手なアクションとは裏腹に)かしゅーるくんの内面的感情に着目したという点で、他のエントリとは一線を画しています。
更に、上の句の有り余るテンションを真っ向から受け止める姿勢にも好感が持てます。ある程度技巧に自信がついてくると、つい「この激流をどうやって受け流そう」などと考えてしまいがちですが、ここは今回初参加、まったくの初心者としての強みでしょうか。前提である「暴走」を更に加速させるというアプローチに果敢に挑戦、見事な成果を収めています。
そして、これだけ大暴れしてなお七七の定型でまとめているところも憎いですね。うんこはチョコレート・ケーキの形に整えられ皿に盛られて初めて、おのが汚れの持つ新たな可能性への道を開くものです。同様に、五七五七七の魔力は下品短歌だからこそ威力を発揮するものではないでしょうか。初心者ほど定型を軽視しがち。基本の重要さを教えてくれる、王道路線の秀作と言えるでしょう。 【秋ひもの】

かしゅーるくん ちんこ握って大暴走 頭に響くトカトントニズム @TLW_kashur

トカトントニズムという響きのよい言葉は造語のようで、もともとは太宰治の「トカトントン」という作品に由来しているようです。違ってたらごめん。でも私はそういう認識なのでその前提で話を続けます。この太宰治の小説の主人公は、どんなに激情し、心打ち震えても、どこからとも無く「トカトントン」という金槌の音が聞こえた途端、白々と醒めてしまうという悩みを抱えています。すなわち、ちんこ握って大暴走する彼の中に忽然と響く「トカトントニズム」は、彼に醒めよと警鐘を鳴らしているのです。ここで着目したいのは、@TLW_kashurは、この上の句にして散々ネタとして使い倒されている「かしゅーるくん」その人であります。彼が自分の愛称をいみじくも下品短歌の上の句に使われていることに関してどう感じているのか、我々は知る由もありません。ただ、彼はこの「トカトントニズム」という言葉でもって、自他の作を問わず、歌に読まれたすべての己へ、醒めよ、と訴えかけているのだとしたら、実に壮大な並行世界の歌ではないでしょうか。【ハゼ】

かしゅーるくん ちんこ握って大暴走 自由になれた気がした15の夜 @sunface
かしゅーるくん ちんこ握って大暴走 尻をつきだすアンカーの声 @kurubushianyo
かしゅーるくん ちんこ握って大暴走 まてそのちんこはおまえのじゃない  @ ryp_a