twitterで私そんなこと言ったっけ

http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090521/1242866339
を読んでいたら、不意打ちのように自分の名前があってふいたハゼ@HazeinHeartです。

その、id:nakamurabashiさんの言うようなこと、いつ言ったかなあ、と発掘してきました。これだった。

家人とtwitterの話。俺「twitterってのは、最初すごくつまんないんだ。知人も誘ったけど全然面白くなかった。で、1年くらい放っておいた。でも、その人の言うこと、思うこと、悩み、立ち居振る舞いみたいなことすべてが好ましい、って人がやがて見つかるんだ。そうなるともう面白い」

引用元:斉藤ハゼ on Twitter: "家人とtwitterの話。 俺「twitterってのは、最初すごくつまんないんだ。知人も誘ったけど全然面白くなかった。で、1年くらい放っておいた。でも、その人の言うこと、思うこと、悩み、立ち居振る舞いみたいなことすべてが好ましい、って人がやがて見つかるんだ。そうなるともう面白い」"




いつだったかな、twitterが話題になった初期の頃、blogは面倒だし、mixiは面倒だし、でふいと始めてみた。そのとき、たまたまメッセ友達とかを一緒に誘った。そしたら……すっごく違和感があった。私がぼそり、とつぶやいたことにみんなが@をつけて返してくる。

HazeinHeart つきがきれいだ。

hogehoge @HazeinHeart いいねー月!たまには空をみるといいよね。

HazeinHeart しごといきたくないなあ

niyoniyo @HazeinHeart ガンガレ

違う、違う、違う、違うんだ。私は空に言葉を差し出したんだ。別に誰かの返事がほしかったわけじゃない。私の言葉を安易に飲まないでくれ。

mixiのコメントですら嫌いな性質だ。あっという間に嫌気が差して辞めた。その後、もごもごとか、はてなハイクとか、あっちこっちをさすらって、どこからも、私は居なくなった。



それから1年もしたか。私の敬愛するとある方が、twitterを始めたという。twitterのことを思い出して、音速でfollowしに行った。その方が最初の「言うこと、思うこと、悩み、立ち居振る舞いみたいなことすべてか好ましい」人だった。その方をfollowして、つぶやきを聞けるだけで幸せだなあと思った。また、面識のある厚かましさから、時折内容を合わせたpostをしてみたり、悩んだ末に@を打ったりするのは恐れ多くも楽しかった。それに知人たちのようにむやみやたらのレスポンスもない。 

空にはなした言葉が、空にすっと立ち上っていく。
「BERGで黒生エビスと、キッパーヘリングラップサンドをキメた」
「さっき大泉洋そっくりの中国人を見た!」
「雨の匂いがするからもうすぐ降るよ」
そんな他愛もない言葉が空にすいこまれていく。

それが嬉しくて、ちょっと欲が出た。私にとって好ましい方はもう少しいるかもしれないと、少しずつfollowを始めた。最初はよく読んでいるエロゲ系ニュースサイトの方をfollowした。その次は、大好きな漫画家の方を。一方的に存じている方とマイミクになるなんてさぞかし気分の重いものだろう。だけど、follow/followerの関係は不思議に重くなく、おこがましくなくて、とてもいい気分だった。緩やかな繋がり。

自分にとって、好ましい何かを言葉の中にうずめている人だけをfollowしよう、その人の言葉は全部読みたい、と思う人をfollowしよう、と考えてfollowを続けた。選び抜いた、お気に入りの人たちだけのTLを作ろうと思っている。そういう意味では、いつまでも読み手だと思う。



書き手としても、もちろんtwitterは楽しい場だ。
銀河通信というふるい歌がある。遠く離れた私と、君とが、そっと灯火をかざし合って互いの存在を確かめ合う、でもその光は何年も前から届いた光。twitterにもそういう印象を受けている。私が書く言葉は、縁あってfollow/followerの関係になった人への灯火。どうせなら、面白おかしい灯火を振ってみたいから、140文字のつぶやきに精一杯何かを込める。それは、ふぁぼったーという形で届いたことがわかるし、@でもわかるし、不遜かなとも思うけれど、私の台詞が水面に広がる波紋みたいに、他の人の言葉を呼んだな、と思う時もある。



何がいいたいんだかよくわからないや。140文字に押し込めてかくべきことの枷をはずすとこんなにみっともなくなりますよ、という見本みたいなものかもしれない。