しらすの目を見てはいけない

子供の頃、しらす干をふりかけにしてご飯を食べていた。
ある日、ご飯の上の一匹と目が合った。
嘘みたいに白い体、青い目、うっすら黒い背の点々。くにゃ、としたもろさ。あの小ささ一つ一つに目がある。
目があり、かつては泳ぎ、大きくなれば何かになったもの。
同じ目玉のあるものでも、サンマくらいになればその白くにごった目に、もう何も思うことはない。ブリくらいになれば、その物体そのものに不気味さすら感じれど、意志は思わない。思えば、サンマなりブリなりは、個対個の対峙であり、私がオマエを食べる。そうして私は育つ、ということはそれなりに腑に落ちることであったが、しらすはどうだ。皿に、発泡スチロールに、数えるのも嫌になる数だ。スプーンで軽くすくっただけで何十匹といる。この舌の上にどれほどいるのか。
無数のしらすの目が、じっと訴えかける。我々は群れを成し海を回遊し、子を産み死に生まれ、命を回すものだった。お前は、我々を臼歯ですり潰すお前は。
いつしか、あまりしらす干しが食べられなくなった。食べることに罪悪感があるわけではなく、糾弾されるのが怖かったから。代わりに母親から糾弾されることになったが、ひたひたと意志を湛えた無言と、感情的な平手。どっちが恐ろしいかなんて言うまでもない。
今でもしらすが食べられない。いりこだしくらいなら、なんとか。どこに線引きがあるのか岩と石の境目のように判然としないが、ただ、しらすを食べようと考えただけで胸が悪くなる。
しらすの目を見てはいけない。当たり前の平衡が狂う。


ヤマウチ先輩は小動物などに目のない人で、可愛い子猫ちゃん子犬ちゃん映像の類を見たり、あげくの果てに思い返しただけで、何か身の内を禍々しい衝動が走るらしく、


「あいつらは! 世界征服を! たくらんでいるぅぅぅ!! あんなに可愛いのがその証拠だーうぉぉぉぉー!!」


と叫んでは、もふもふ、きゅいきゅいの欲望から逃れようとする禁欲の人だった。お元気ですか先輩。
だから、しらすも世界征服をたくらんでいるのかもしれない。
私たちの目を見て。せめて、後世のしらすが食べられないように、湯通ししたり、大根おろしにまみれたり、どんぶりでかっ込まれないように。
なんて恐ろしい精神攻撃! もう俺たちはすでにスタンド攻撃を受けている!!
俺はもうだめだ、もう逃げられない。だから、せめて、みんなはしらすをばりばり食え。俺の分まで。そんな好きじゃなかったけど。