万華鏡みたいな街と劇

舞台「追奏曲、砲撃」(桃園会) 3月29日(土)マチネ

下北沢は万華鏡みたいな街だといつも思う。 無数の路地の広がり、曲がっても曲がっても果てなく店、人、風景。 どこを見ても必ず色が付いてる。 変な服屋、たばこ屋、酒を飲むところに、団子屋、モスだの無印だの、そんなのが全部埋もれている。なぜか自転車屋が多い。その隙間からぱっぱっと桜が吹きこぼれる。

ザ・スズナリは街の少し外れの古い建物。上るは平気だけれど、降りるにはとてつもなく怖い狭細い階段を上るといきなりロビー。店の上に無理やり建て増ししたガレージをそこの子供が独占して子供部屋兼秘密基地に使ってる築30年、そんなところ。

桃園会は関西の小劇団。たまにキャラメルボックスを観るだけで小演劇の類にはとんと疎い私がなぜ足を運んだかというと、キャラメルボックス所属の役者さんが客演した舞台「カノン、カノン」を昨年札幌で観ており、それと深い関連のある作品だというから。深津篤史さんという演出家の作る世界に引き込まれた経験忘れがたく、東京まで来てくれるなんてこりゃあいいやと観に行った。

セットは最小限にして、雄弁な半円のカウンターと周りの階段。あちこちにビン。物語は大阪のミナミから。作家志望、あるいは駆け出し作家の男が見舞われた奇妙な家族の現実。そこから泳ぎだす思考と想像。ミナミから南の島、南の島に住んでいるはずの自分を捨てた父親、島にいるらしい異母弟、ヤクザの浜ちゃん、犬のジョン、犬のシロ、犬じゃないおじさん、犬じゃないおばさん。時折語られる、彼が書きたいと願っている北の街の家族の物語。現実と幻想がドレープのようにたゆたい、台詞が熱帯魚のようにひらひら踊る。大阪の人の書く、何種類もの西の言葉の美しさ。万華鏡を覗く楽しさみたいに果てしなく飽きない。
「カノン、カノン」は主人公の男が書きたいと考えている北の街の物語だった、ということが「追奏曲、砲撃」で明かされていく。 奇妙な自分と父親の関係を元にした、私小説。 ミナミにいる男の、南の島の父親。それを下敷きにした北の街の家族の物語。 ミナミのほんのわずかな現実を軸に、南の島と北の街の幻想と空想がリンクしていく。夢と現の境目のない物語。観客にもわからないが、主人公本人が一番わかっていない。物語が終わり、主人公以外の登場人物がいっせいにステージに現れて礼をする、それを困惑して眺める主人公、去っていく人々、取り残され慌てて礼をして去る主人公。あの終わりが象徴している。

何かを書こうと思った時に、その物語のことを、そのキャラクタのことを思い考えていると、向こうから語りかけ、動いてくるようになる。満員電車で耳にイヤフォンをつけているはずなのに、耳元で誰かがそっと話しかけてくる。それはほかの誰でもない、彼らだ。あまりのリアルさに返事をするのをこらえる、背中にうすら汗を書く。でも私は作者だから上位者なのだから平静を装ってあしらってやる。彼らは次第に五感を侵していく。車窓を見ているのは私の目だが、それを見て物思うのは誰か。多層に連なる感情。どこからが私でどこからが想像なのか。今、ついた息は私のものか誰のものか、わからなくなる、その、

感じそのものの舞台だ、と思った。

アンケートにあれこれ書きたかったけれど、ちょこちょこ書き込んでいたら、周囲に人の気配がまったくなくなり、一言だけあわてて書き込んだ。 ロビーでお手製感ばりばりの上演台本を購入。あとで記憶を掘り返すよすがとしようと思う。

終演後、どっとつかれたので喫茶店で休憩。バニラビーンズが浮いたベイクドチーズケーキがものすごく美味い。クリームチーズとアボガドを合わせたペーストにどっさりとレモンを利かせ、ベーコンでコクを出したホットサンドは真似したい。

「心」で14種の野菜のスープカレーを食べて帰る。 帰りに薄めの洋物っぽいビールが飲みたくなって、ハートランドのビン詰めを買ってまた家でぐいぐい飲んで寝た。