中野さんへ 「グルメ」にて


もしよければ、文学フリマ版「中野さんと僕」をお読みになってから、ご覧ください。

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目が覚めたらもう、バスの出発の時刻が過ぎていた。よりによって、北海道に出かける今日に限って。慌ててタクシーと電車を駆使して空港へ駆けつける。20分前に手荷物を預けて、15分前前に保安検査場を抜けて、搭乗口へ。お定まりのパターン。座席に身を預けて、息を吐く。隣のシートに君はいない。

500人とひとりの離陸。ジェットエンジンの排熱で歪む窓の外、ごらん、もう雲を抜けるよ、と思うもひとり。上空から見る海はエンボス加工のようだ。時折毛羽立ちのような白い波が立つ。

新千歳空港に着くのはあっという間だった。

手荷物が真っ先にベルトコンベアから流れてくる。たった一個のキャリーケース。とぼとぼとそれを引いて、三階へ上がった。レストラン街。前に一度だけ行った、地ビールの飲めるお店がなくなっている、気が、する。アテがはずれた。
朝から飲まず食わずで走ったため、何でもいいから食べたかった、けれど何かが食べたいのかまったく思いつかない。
こういう時、「何が食べたい」なんて聞く相手のいないさみしさ。
辺りを見回すと、ふと、「グルメ」という看板が目に付いた。昭和ムードのモダンな看板。サンドイッチハウスのチェーン店で、僕の故郷では駅前にあった。新幹線に乗る前に母が決まって「グルメ」のサンドイッチを買う。卵、ツナ、ローストビーフ、小さく添えられたパセリ。色とりどりが詰まった紙箱。「グルメ」のサンドイッチは晴れがましい食べ物だった。

東京に越して来てからは、しばらく見ていなかったけれど、空港の中にあったなんて。旅の思い出と密に繋がった味。

千歳空港限定だという、ホタテフライサンドとサッポロクラシックを頼んで、やっぱり、ひとり。ねえ、中野さん。僕がはじめてのデートで入った店も、「グルメ」だったんだよ。異性と一緒に何かを食べるのが恥ずかしくてね、アイスコーヒーだけ飲んで出て来ちゃったんだよ。

僕がホタテフライサンドにレモンを絞っていると、女子校高校生が通りがかった。スカートから覗く膝と、紺のハイソックスの面積が東京よりも狭い。君たちは、もっともっと丸い膝をむき出しにして、笑ってたよね。

ホタテフライサンドは、少し多かった。分けてあげたかった君は、まだ、来ない。