「20分耐久文章書き」に私も参加してみたよ!


「中野さんと僕」をお届けの途中ですが、いきなり20分耐久文章書きに参戦です。

20分耐久文章書きってのは、20分間野放図にテキストを打ち倒すというそれどうなんだ的なお遊びですが、感覚をテキストに変えることに執着の強い人間にとっては、これまた楽しい遊びなのです。

爪を短く切って、チェコ製だというガラスのヤスリで丹念に丸くして。爪と髪は、短いほうが好きです。長いそれらを知覚すると、あ、今おれ、爪長いな、と感じると、妙に自分の肉体に対して嫌悪を感じます。おそらく肉体が存在するという感覚を強く持たされることがイヤなのでしょう。長い爪、長い髪、ゆるく出た腹。朝起きたとき、口腔にもやり、と広がる臭みのような、自分消えろ!と念じたくなるような嫌悪感。

みんな、大気にとけ込むような身体だったらいいのにな、とよく願います。先日まで北海道にいて、昨日はいつもの東京で働いていたわけですが、東京の郊外のこの街でさえ、人は実に多い。人間が多い。みな粛粛とバスに並び、電車に並び、昼食に並び。電車のシートに7人が腰掛けられぬように座るものは愚かものであり、罪人です。そういう、目に見えぬ空気にまだ、私は慣れることができません。普段昼食を採る町中に出かけていって、あまりの人の多さに辟易として、食欲を失って帰ってきました。人魚姫、は最後、泡になって精霊になっていずこへかの空へ旅立って行きますが、あれほどのハッピーエンドを私は知らない。想いを貫いて、最後は肉体を失って、大気へとけていく。もう、彼女は鱗がかゆいとか、得た足の痛みとか、王子への矛盾する深い気持ちに悩まされることはない。

三次元の人間も、二次元のキャラクタに愛を注げば、大気にとけ込めないでしょうか。

声を捨て、海を捨てるほどの気持ちがあれば大気にとけ込めないでしょうか。

人魚姫が失ったものと同じくらいのもの、ってなんだろうと考えてみたところ、言葉、かな、という気がしました。

言葉と引き替えにそのキャラクタの住む世界に飛び込んで、ただ、愛しい、愛しい、愛しい、と、衝動的に願い、でも、もはや言葉を失っているがために、それが何であるかも自分ではわからず、想いをそのキャラクタに伝えることもかなわず、そのキャラクタの住まう世界の大気に消えていく。

うん、理想的な去り方です。

そんな風に、誰の記憶にもとどまらず、ただ、最後はあぶくとなることがわかっていれば。

でも、今は、皮膚をこすればもろもろと垢が出ます。胃を押さえれば痛みがあります。現実がひたひたと水位を増して満ちて、溺れているのが私たちです。

ただ、大気のようになりたいと願いながら、私たちは、重い肉体を引きずって、歩いていく定めなのでしょうか。



ここで止めてもよかったのですが、まだ5分あるので、もう少し書きます。

東京の空は、ないです。
空というのは、遠く果てにはぽっかりと空いている、空間があるからこそ空なのであって、東京の空は開いていない。空間じゃない。たぶん、地上60メートルもいけば、そこにあるのは、蓋、です。
それが証拠に、悲しいほどに、白い紗がかかっている。紗をご存じない方はトレーシングペーパーでもよろしい。ひょっとしたら私たちは、本当は大気に交わって消えていけるのに、蓋で空と私たちが隔絶されているから、どこにもいけず、ただ地をはい回っているのかもしれないですね。

以前、朱鞠内という土地に旅行した時、身体の中に風が吹き抜けていくような、自分の肉体が澄んでいくような、不思議な錯覚を感じました。たぶん、世界中のあちこちに、その人のための蓋の外れた場所があるのでしょう。
その人だけの特別な大気の場所。

でも、今は、覆われて生きていきます。

ネタ元 http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090926/1253895012