中野さんと能取岬

中野さんがこの旅に来ることになる前から、旅の最後には、どこか果てのような、これ以上、どこにも行き場がないような、ところに行きたいと思っていた。
それで選んだのが「能取岬」だ。

宿の人が言うには、レンタルの自転車で30分も走ればたどり着けるという。

自転車を借りて走り始める。最初は爽快な下り坂。最初が爽快であればあるだけ、帰りの不安が頭をよぎる。だが、これで行くしかない。僕と中野さんは、慣れない自転車のペダルを踏み込んだ。

約7キロの道のりは、たしかに30分でたどり着いた。

僕らは荒い息をぜぇはあとはきながら、駐車場の片隅に自転車を停めた。想像以上にアップダウンのあるコース。辛くなかった、と言えば嘘になる。ただ二人でいるがゆえの、妙な見栄がお互いの間にある。

岬、と呼ぶには、ずいぶん広々とした場所だった。びゅうびゅうと風を切って自転車で下っていた時には聞こえなかった、潮騒の音がひっきりなしに聞こえる。自転車のそれとはまた違ったように風が強い。
青い空、青い海。その境界線は白くくっきりと隔たれ、けして交わることがないように見えた。まるで僕と中野さんのように。
青い草を踏んで、柵沿いに、岬らしい先端を目指して歩く。

「筋肉痛、なりますかね」
「なるとしたら、僕は明後日かな」

明後日。自分で口に出した言葉に、ぎょっとした。
昨日、ライブは終わってしまった。今日、最後の宿泊。明日、北海道を去る。明後日、はもう、僕は東京で働いているはずだ。
柔らかな青草の感触が、急に心許なくなってきた。ぎゅ、ぎゅ、と一歩一歩を踏みしめるように先を目指して歩く。やがて、僕が思い描いていたような崖と波頭が見えてきた。

「おお…火曜サスペンス劇場みたいだ」
「土曜ワイド劇場のようでもあります」
「今、船越英一郎が出てきたら、僕は罪を白状するね」
「何の罪ですか」

僕の罪。そんなの、言うまでもない。きっと中野さんだってもう、わかっていることだ。それでも僕らは共犯者ではない。罪を背負うのは、僕だけにしかできない。なぜなら……。

「中野さん探偵には、話せないな」
片平なぎさじゃなきゃダメですか!」
「あははは、ダメだね!」

笑いの中に、どこかしら混じる陰り。
遠くにモニュメントが見えてきた。岬にありがちな碑のたぐいだろうと思い、歩を進めて行くと、次第に大きくなっていくそれは……。

「頭上のは、鮭、ですかね」
「鱒、ではなさそうだね」

「オホーツクの塔」と名付けられたそのモニュメントは高さおおよそ10m、そこに巨大な漁師と、鮭、がどんと配置されていた。実に力強い。

「ここが……旅の、終着点だよ」
「おしまい、ですか」

明日も羽田空港まで旅程は続く、だけど、旅の目的地はここでおしまい。
僕たちは口も聞かず、寄せては返す白い波頭をじっと見つめていた。
もう、なにも、言うべきことなんかないような気がする。

「そうだ」

僕は鞄からMP3プレイヤーを取り出した。

「ここに着いたら、聴こうと思ってた曲があるんだ」
「私にも半分、貰ってもいいですか」

僕はイヤホンの長いほうをハンカチで拭いて、中野さんに手渡した。彼女が耳に差し込んだのを確認してから、曲をスタートさせる。実は、どれをここで聴こうか思い悩んで、シャッフルの設定のままにしてあった。

「あ、この曲、あのライブの時に……」

彼女の鼻歌が、風に千切れて飛んでいった。
あとは、かえりみち。