空に帰った少女に其れを捧げよ

文章の役割とは何だろうか。
離れた誰かに、何かを伝えることだろう。

目の前にいるひとであるならば声を出して伝えればいい。例え腕つかめるほどに近くても声がかけられぬのであれば、あなたとそのひとは離れているのだ。

文章。文、と章、に分かれている。この言葉がどうして起こったのか、私たちの身の回りで頻繁に使われるようになったか私は知らないし、また調べてもいないけれど、文の役割は描写、章の役割は、構成、ではないか、と、思い当たった。描写と構成、どちらが欠けていても、瑞々しくはならない。

これでも随分大づかみなまとめかただけれど、「文章」と荒々しく言い切るよりは、章を望ましく整えるにはどうしたらよいか、文を好ましく満たすにはどうしたらよいか、とバラバラにした方が考えやすい。しかし、描写力をつける方法も、構成力をつける方法も、ここでは特に語らない。

ただ、書き出す前のあなたにお願いがある。


その文章は誰のためのものか。
その、誰かを、どんな気持ちにしたいのか。


それだけを決めて、その人に、どうぞ伝わりますようにと祈ってほしい。
実際にあなたの文章を読むことがない人でもいい。でも、あなたの書いたものは、伝わると信じてほしい。


誰のために、なんて思いつきもしない文章ならば、それはわざわざネットに上げなくてもいい。自分を笑わせるためでも、自分を気分よくさせるためのものでもいいのだ。必ず、誰かに、それを捧げてほしい。
誰へ向けた、どんな気持ちになってもらうためのメッセージか。それさえ先に定めていれば、論旨も、構成も、後からついてくる。
誰かのことを思えば思うほどに、情念が生まれて描写に力が宿り、その文章はあなたのものになる。



もし、どうしても誰のために書いていいかわからなかった時は。
空に帰った少女が笑ってくれるよう、あるいは少女を見送った母がさみしさを忘れられるよう、書いてほしい。