わたしもはつこいについてかいてみた

みんなも教えて!はつこいの話! 青色28号

を受けて、よっしゃわたしも初恋について書くか!! という気になったので書いてみることにした。


わたしの初恋は、デンジマンのデンジグリーンこと、緑川刑事だった。4歳のみぎりにしてモニタの中にドキドキしていた。デンジマンのてれび絵本を買ってもらって、彼の写真を指で押さえてはきゃあきゃあ言っていた記憶がある。
母は、私が胎内にいる頃、暇で暇でしょうがないからゴレンジャーまで見ていたのがいけなかったのだろうか、と悔いていたが、私にとって、空手着をまとった無骨なレッドや、アンパン好きなブルーや、太ったイエローなんていうのはもう論外で、とにかくスーツをまとった緑川刑事が格好よかったのだった。


三次元の初恋の記憶もある。

幼稚園の同級生のサギヌマトシヒコくん。変わった苗字なので、今でもよく覚えている。わたしの通っていた幼稚園は広範の地域から子供が集まっていて、彼は幼稚園の近くの街中の子だった。わたしは住宅街と田畑の境のあたりに住んでいた。

記憶は断片的だ。

幼稚園の頃のわたしはひどく病弱で、あまり幼稚園にこれなかった。体調がよくて登園できたときは、わたしを相手に、いっしょにサンバルカンごっこをしてくれた。トシヒコくんがバルイーグルで、わたしが長官の娘で、フェンシングで戦う嵐山ミサ。でも、ミサはよわくて負けそうになるので、バルイーグルがさっそうと助けてくれるのだ。めったに登園しない、いじめられっ子だったわたしと、彼がなぜ遊んでくれたのかはもうわからない。ただ今でも、人のめったに来ない階段の下で、見えない敵を相手にしていた時の心づよさだけは忘れられない。


告白はしたのだろうか。したかもしれないし、していないかもしれない。でも、私は幼い頭で、自分たちは両想いだと思い込んでいた。両想いも何も。幼稚園とはいえクラスの大半に相手にされず、ただ、一人だけ相手をしてくれた男の子に対して抱く好感は、蜘蛛の糸にすがるようなものであって、恋愛感情にははるかに遠いものだったろう。トシヒコくんだけはわたしを好いてくれる、そう信じたかったのだ。


年長のときにお誕生日会があった。同じ月の生まれの子供を集めいっしょくたに祝うというイベントだ。わたしとトシヒコくんは9月生まれで、わたしたちはほかの子供といっしょに並んで、紙ふぶきを浴びた。それは奇妙に誇らしくて、わたしとトシヒコくんの間にはやはり、絆のようなものがあるのだ、と確信した。ただ、5歳の語彙では「おたがいにすき」という言葉にしかならなかったが。

大人の誰かが、不意に「すきなひとはだれですか」 とトシヒコくんに聞いた。彼は、ワンテンポ恥らってから、「……アイちゃん」と答えた。大人たちがほがらかに笑う中、私は列を抜け出して、精一杯、トシヒコくんをたたいた。


それからも、わたしは熱を出しては休んだり、父の転勤先に滞在したり、浮き草のような幼稚園児生活。卒園アルバムには、行事に参加して笑う子供の写真がたくさんあるが、わたしの写っているものは1枚かぎり。

「みんな で げんき に あそびます」

わたしと同じように園を休みがちで、1枚も写真のない子供たちだけを寄せ集めて、遊具に無理やり座らせた集合写真だった。みんな知らない子だったし、わたしたちは元気に遊べたことなど、わずかな記憶でしかないのに。みんなって何だ、げんきって何だ、わたしが元気に遊べたのは、トシヒコくんとの数少ないサンバルカンごっこだけなのに。うそつきうそつき。みんなうそつき。


小学校にあがってから、トシヒコくんは年賀状をくれた。
それを見てから、半年ほどして、私は電話をかけた。なんのためにかけたのか、なにを話したのか、これも覚えていない。ただ、遠く離れた小学校に通うわたしたちはすぐに話題が尽きてしまい、電話ごしに大声合戦をした。

「わーわーわー!!!」

すぐに熱が出て、咳が出て、ほかの子供のように遊べない自分の身体への鬱屈。

「うーるーさーいー!!!!」

誰も相手にしてくれない中、一人だけわたしと遊んでくれたトシヒコくんへの気持ち。

「ぶぁーーーーーーーわーーーー!!!!!」

両想いだと思っていたこと。それは違っていたこと。

「ぎゃぁあぁーーーぁーー!!!!!!」

ひょっとしたら、照れ隠しだったかもしれないこと。


年賀状がきたのは1回だけ。子供は忘れっぽい。
30年近く経ってしまった今となっては、彼とすれ違ったって気づく自信はない。

そして、あれが初恋だったのかどうなのか、わかるはずもない。
ただ、卒園アルバムのわたしは、えらく不機嫌そうだ。